白猫のメモ帳

C#とかJavaとかJavaScriptとかHTMLとか機械学習とか。

学問をもっと軽率に好きでいたい

猫はかわいい

「猫が好き」と言うときに、私たちは理由を求められません。
かわいい、触りたい、ただそれだけで成立します。

ところが「生物学が好き」となると急に空気が変わります。
「詳しいの?」「どこが面白いの?」、なぜか“ちゃんと説明できる好き”が求められる気がしてしまいます。
まるで学問は、理解が伴って初めて好きと言えるものだとでもいうように。

学問の入り口はもっと日常的

このブログでも本の紹介のコンテキストで書いてたりするのですが、私は行動経済学認知心理学言語学、哲学といった分野がほんのりと好きで、徐々に周辺の学問にも手を出しているような感じです。

  • 行動経済学は「人ってなんでそういう行動をとるんだろう」という素朴な不思議から
  • 認知心理学は、「人やAIってどう考えたり学んでいるんだろう」という当たり前への疑問から
  • 言語学は、「この言い回しちょっと気になる」という違和感から
  • 哲学は、「それ、本当にそう言えるのかな?」という問いから

始まりはいつも、生活の中の“ちょっと気になる”からです。
なんなら「こういうのって何の学問なんだろう?」という疑問がずいぶん経ってから解消することもあります。

「わかる」より先に「好き」でいい

個人的には比較的理屈をつけると落ち着くタイプです。
理由や構造が見えると、なんだか世界が少し整理されるような感じがするんですよね。

その整理に向かうためには、「好き → 気になる → 調べる → わかる」っていう順番を許す必要があります。
ところが、「学」がついているとなぜか「わかる → 好き」であるべき、みたいな気持ちになってしまいます。
この順番の逆転が、学問を急に遠いものに見せてしまいます。

そもそも人間には選択的注意という性質があって、興味のないことは頭に入ってこないんですよね。
だから「ここ興味あります、好きです」って思っておくと、自然とその分野の情報が目に入ってくるようになります。
そうやって少しずつ「わかる」が積み重なっていくで全然良いと思います。

おわりに

学問ってほかのことに比べて好きっていうハードルが高い気がするんですよね。
「専門に学んだわけじゃない」とか、「浅い知識しかない」とか。

でも別にそれによって人を否定したり、間違った知識を広めたりしない限り、好きでいること自体のハードルって全然低くていいと思うんです。

というわけで「学問をもっと軽率に好きと言おう」キャンペーンでした。
「まだよくわからないけれど、なんとなく気になる」くらいが一番楽しいでしょ?

それでは。