白猫のメモ帳

C#とかJavaとかJavaScriptとかHTMLとか機械学習とか。

あたりまえにがっかりしない

こんにちは。
気づいたら明日から9月…とは思えない暑さですね。

なんかこのやり方、どこかで見たことあるぞ

さて、仕事をしているとさまざまな複雑な課題に直面します。
現状を整理して、問題を構造化して、関係者にヒアリングして、何度も議論して...さんざん時間をかけて導き出した結論が、世の中では「あたりまえ」とされている方法だった。
なんだかとてもがっかりしてしまって、無駄な時間を過ごしたような気持ちになってしまいそうですよね。

「あたりまえ」の価値

でも、よくよく考えてみると、世の中で広く採用されている「あたりまえ」というのは、たくさんの人達の試行錯誤の末に生き残ってきたいわば最適解です。
私たちが自らの頭で考えて同じ結論に至ったということは、その方法が本当に理にかなっていることを「自分たちの文脈」で証明できたということにほかなりません。

「なぜ」を理解せずに「何を」だけ知っている状態では、少し条件が変わるだけでその適用がとても難しくなります。
一方で自分たちで考え抜いた経験は、次の課題に「あたりまえ」をスムーズに適用できるはずです。

革新的な解決策

一方で、誰もやっていない「革新的な」解決策に辿り着いたときには、少し立ち止まって考える必要があるかもしれません。
世の中の「あたりまえ」と違う結論に至ったとき、そこには複数の可能性があります。

1. 本当に革新的な発見をした
2. 重要な制約や前提を見落としている

残念ながら、多くの場合は後者です。
自分たちの状況は特殊だとついつい考えてしまいますが、案外そうでもないことが多いものです。

そしてここで危険なのが、サンクコストの罠です。
「これだけ時間をかけて導き出した独自の方法なんだから、きっと価値があるはずだ」
どうしてもそう思いたくなってしまうものです。
時間をかけたからこそ、客観的な判断が難しくなっていると思うくらいでちょうど良いのかもしれません。

地に足のついた?

認知科学には「記号接地問題」という概念があります。
たとえば「リンゴ」という言葉(記号)を知っていても、実際にリンゴを見たり、触ったり、食べたりした経験がなければ、その言葉は本当の意味で理解できていない。辞書の定義を暗記しても、実体験と結びついていない知識は、ただの記号に過ぎないという話です。

今のご時世、ベストプラクティスや成功事例は、検索すればすぐに見つかります。でも、それらは私たちにとっては「接地していない記号」でしかありません。
単なる知識としての「あたりまえ」だけではなく、記号接地した「あたりまえ」を増やしていきたいですね。

それでは。